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製紙化学からナノセルロース化学へ
From Paper Chemistry to Nanocellulose Chemistry
繊維学会の年次大会、合宿形式の夏季セミナー、各種研究会参加は、大学院生時代から教員の時代も含め、様々な分野の方々とお会いして知見・見聞・人的ネットワークを広める上で貴重な場でした。大学院生時代には、「セルロースの化学反応」をテーマにしており、石油系高分子化学全盛の時代ではありましたが、異なった視点や方法を用い、様々な基礎研究あるいは用途開発を目指し、高分子化学を研究されておられる方々との議論や発表は大変勉強になりました。当時の東工大の大河原信先生著の「高分子の化学反応」は何度も読み込み、何とかセルロースを出発として化学反応により、多様で特異的機能を付与できる方法はないものか、試行錯誤を繰り返しました。当時の農学部では、どちらかというと研究は「Etwas Neues」がキーワードで、社会還元や実用化には距離を置くような雰囲気がありました。そのような中で、境界領域の研究分野の発表や意見交換の場である繊維学会は大いに刺激を受けました。
米国留学を経て、農学部の助手として戻ってきた際に、これまでの化学的手法で貢献できそうな分野を模索し、製紙工程での、セルロースの疎水化(液体浸透制御=サイズ性付与)処理、(吸水性でも強度が維持される)耐水化処理機構の解明に取り組みました。水媒体で、少量の添加剤により、単離-精製工程不要、数十秒という短時間で、親水性のセルロースに疎水性・耐水性という真逆の機能を付与する機構の検討です。サイズ剤にはアルキルケテンダイマーという 4 員環を有する反応性物質が用いられており、湿潤紙力剤には、やはりアゼチジニウム基という 4 員環を有する反応性の水溶性高分子が用いられていました。
多くの実験データの蓄積と解析から、従来の定説とは異なる新しい知見が得られたため、若さも相まって製紙化学関連の国際学会等で重鎮の先生方と結構活発に勝負していました。一方、国内では、トラブルなく効率的に添加剤の効果が安定的にセルロースシートに付与することが最優先で、詳細な機構解明は不要、というような雰囲気があり、落ち込むこともありました。それでも研究の信念を貫く根拠としては、「セルロースのような生物系の親水性素材を少量の添加剤、水系、短時間で、効率的に新しい機能を付与する機構の分子・ナノレベルでの解明は、セルロースだけではなく、今後重要となる“はず”の他の生物系素材の効率的な化学構造変換・新機能付与技術にも展開可能な基礎的知見となるに違いない、と思い込むことで研究を進めました。
その結果、カチオン性のサイズ剤微粒子、湿潤紙力剤高分子が、パルプ繊維表面上に微量存在しているアニオン性のカルボキシ基を足場として、静電的相互作用によって水中でイオン結合することで効率的かつ均一にまず定着し、その後の脱水-乾燥工程での分布変化、4 員環物質の化学構造変化によってセルロースを効率的に改質する機構を明らかにすることができました。このように、セルロース中の微量のカルボキシ基の重要性を確認したことから、「セルロースに、酵素反応のような水系・常温・常圧・短時間・触媒反応によって、カチオン性の物質定着の足場となるカルボキシ基量を増加・制御する方法はないか」との課題にたどり着きました。
セルロースにカルボキシ基を導入する従来法としては、カルボキシメチルエーテル化、C2/C3 位のジアルデヒド基の追酸化によるジカルボキシル化、ガーゼのN2O4/ クロロホルム系処理による外科手術時の止血用のオキシセルロース等が知られていました。しかし、いずれも目指す反応条件を満たしてはいません。1995 年、オランダのグループによるデンプンの TEMPO 触媒酸化反応の文献が偶然目に留まり、セルロースやキチン、パラミロン等の TEMPO 触媒酸化反応の検討と酸化生成物の構造・特性解析を 1996 年から開始しました。その延長線上で、2006 年にはセルロースナノファイバー(CNF)の調製と構造・機能解析に展開しました。当初は、CNF を用いた新たな材料開発を目指したわけではなく、セルロースおよび多糖類の新しい触媒反応化学に関する基礎研究分野の構築という学術的な目標を主眼としていました。
現在国内各社が安価な製紙用パルプからパイロットおよび本格生産している CNF は、新しいバイオ系ナノ素材です。実用化にはまだ多くの課題もありますが、大気中の CO2 の固定化物であり、化石資源のみに依存しない、循環型社会基盤の構築に貢献しうる素材と認識されており、国内外で、分野横断型にてその基礎および応用研究、実用化の検討が進められています。最近では、ESG、SDGs、トランジション・ファイナンス、カーボンニュートラル等の環境・ガバナンス対応が社会に求められています。繊維学会を共通の場として、CNF の新しい学際的で融合型の研究領域の創成と活発な活動に向けて微力ながらお手伝いできればと考えます。
磯貝 明(東京大学 特別教授)
*繊維学会誌2022年5月号、時評より
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