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マテリアルズ・インフォマテックスと新しい絹の創製
Materials Informatics and Creation of New Silk
近年、様々な分野で人工知能(AI)の活用が進んでいる。例えば、将棋界での藤井聡太 5 冠の大活躍は、大きな話題をさらっているが、背景にあるのは AI の活用である。実際、TV でプロ棋士の囲碁を観戦すると、白と黒を一手打つ毎に AI で評価された勝率が瞬時に画面に現れる。人間が及ばない膨大な可能性の中から瞬時に最善手を選び出す AI は、ボードゲームにおいては人間を凌駕してしまったと言えよう。AI の活用は創薬の分野でも活発に行われ、COVIP-19 のワクチン開発でも活用されてきた。
一方、繊維材料の開発と応用研究における AI の活用はどうであろうか。AI の中核をなすのが機械学習と呼ばれる統計数理に基づく技術であり、機械学習やビッグデータ活用などの情報科学を通じて新規材料を効率的に探索しようとする取り組みが、マテリアルズ・インフォマテックス(MI)である。2011 年にオバマ政権が打ち出した MI 重視の科学政策をきっかけに世界的な潮流となり、日本でも 2015 年に材料研究機構(NIMS)、2016 年に新エネルギー産業技術総合開発機構(NEDO)を中心とする推進体制が確立されてきた。しかしながら、相手に勝つという明確な目的を持つボードゲームと異なり、材料開発研究では考えるべき事柄が爆発的に増える。
筆者は、核磁気共鳴 NMR による構造解析を専門とするが、対象とする材料(絹関連が多いが)について、NMR を用いて得た結果をもとに量子化学計算や分子動力学計算を駆使して構造決定や物性評価を行ってきた。MI に関しては全くの素人であるが、NMR は原子レベルでの構造情報を与えるので、材料開発に MI を活用するための初期データとして有力であろう。しかしながら、筆者は従来の実験研究者が行うように、基本的には AI の活用とは無縁の、“経験と勘”に頼る実験の繰り返しが主であった。
一方、我が国において、MI を用いた成功例は、寿命の長い Li イオン電池正極材料の開発等、限られた材料開発の分野で散見されるようになってはきたが、繊維材料の開発と応用研究の分野に MI は殆ど使われていない。しかし、MI を様々な段階で活用することは、将来、効率的な研究開発を進める上で必要不可欠になり、研究のスタイル自身が大きく変わる可能性を秘めている。
今後、本格的な高齢化社会を迎え、また、社会習慣病等の増加を背景に再生医療を患者の治療に役立たせる上で、優れた足場材の開発は、益々、重要となると思われる。高い生体適合性と優れた物性を有する絹は、有力な再生医療用足場材の一つである。
そこで、様々な治療箇所に応じた足場材として絹を用いる際には、構造情報をもとに治療目的に最も適した絹を設計し、創製することが必要となる。MI を適宜活用しながら、その作業を進めることは極めて有力であろう。ただし、大事なことは、MI を活用するための初期データの質と量を十分に確保することである。MI の根幹をなすビッグデータ分析は高度なアルゴリズムを用いて行われるが、初期データが間違っていたり、その質が十分でなかったりしたら、いくら、データを集めても単なるノイズとなってしまうし、場合によっては間違った答えを導くことになる。コンピューターといえども、初期データをチェックすることは難しい。さらに、データの質とともに量が足らなければ十分に MI を活用することはできない。そういう意味では“経験と勘”に頼る実験から得られる信頼に足る初期データは、将来の MI を駆使したデータ駆動型の研究開発を進める上で極めて大事であり、現在、材料データベースの中に信頼に足るデータをきちんと蓄積していくことが重要である。
今後、医療材料の製品化に向けては、材料開発者以外に臨床医による動物実験での検証や医療材料の工作・加工を行う企業、その販売を行う企業などがチームを結成し、協力して開発を進める必要がある。さらに、製品が世界を席巻するような場合は、政府が音頭をとって製品化を強力に進める場合もありうる。その際、MI の有効活用によって、開発期間の短縮や開発コストの低減を図ることができるが、MI を使いこなせるかどうかは、最終的には開発研究を担当する研究者の力量にかかっている。従って、今後、このようなMI の技術を使いこなす人材の育成をどうするかが喫緊の課題である。
ここまで書いてきて、やはり、絹研究を進めてきた筆者としては、若い人に絹について興味を持ってもらいたいと思う。現在、出身高校に年に一度招かれ、“理系の研究とは”と題して講演を行い、高校 2 年生全員に聞いていただいている。全員の感想文から、身近な蚕やクモなどの生き物を扱う話は強い興味を持って受け入れられていることがわかる。話の中に、新たな絹を創製・応用することへの将来の展望や研究から学んできたこと、例えば、コミュヌケーションの重要性や感謝することの大切さを組み入れている。その中から、将来、MI を自由に駆使して新たな絹の創製と応用を進める研究者が育って欲しいと願う。
朝倉 哲郎(東京農工大学 名誉教授)
*繊維学会誌2022年7月号、時評より
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