SFST's Voice
LINKS
- Home
- SFST's Voice
- 繊維学の故きを温めて新しきを知る繊維学の故きを温めて新しきを知る
繊維学の故きを温めて新しきを知る
Learning from the Past, and Bridging Them to the Future of Fiber Science
繊維学会が創立80周年を迎えられますこと、心よりお慶び申し上げます。さらに歴史を紐解くと、前身の繊維素協会は1923年に設立され、実に100年を超える永い歴史を有しておられます。繊維素科学、現在の言葉で言えばセルロース科学は高分子学の成立以前から高分子科学の中心課題でした。当時、畑で栽培されていた綿や麻などに替わって、豊富に自生する木材からの繊維素を原料として利用できれば、糸や織物を安価に大量生産することが可能になります。この夢を追いかけて、多大な英知が注がれました。そうして、木材由来の繊維素を糸にするためのプロセッシング法として、溶媒が発見され、湿式紡糸により再生セルロース繊維が生まれました。また、繊維素の化学修飾によって融点が下がることで溶融紡糸が可能となり、これらがやがて合成繊維へとつながっていきました。つまり、現在の高分子科学と高分子工業のルーツの一端は繊維素を科学する学問、工業としてスタートしたことになります。
繊維とは、「その幅が肉眼で直接測れないほど細く、すなわち数十μ以下であり、長さは幅の数十倍以上大きいもの」(桜田一郎「繊維の科学」(1978))という定義に際して、アスペクト比に注目すれば、実は高分子自身も分子レベルの繊維とも言うことができ、そのサイズが一桁大きくなったものがナノファイバー、さらにミクロンサイズになれば普遍的な繊維とシームレスで連続していることになります。これら繊維の構造と物性は各時代で先人たちによって解析が施されてきました。古くは西川、小野両先生による繊維素のX線回折測定を挙げることができ、繊維素が結晶性を示すことが1913年に世界に先駆けて報告されました。その後も本邦の繊維研究が世界をリードしてきたことは幾多の発見・発明からも明らかです。その過程において、繊維の微細構造についてもさまざまなモデルが提唱されましたが、これらの提唱は1930年代から1960年代に集中しており、1980年代以降はほとんど報告されていないのではないでしょうか。むろんさまざまな発見は続いています。たとえば、超高分子量ポリエチレンのゲル紡糸/超延伸から超高弾性率繊維が生まれるプロセスでは分子鎖の絡み合いが重要な役割を果たしているとされています。ところが、精緻なHosemannのモデルのどこを見ても、分子鎖は絡んでは描かれていません。
私自身が直接知る1980年代以降は繊維の構造、物性を解析する手段が飛躍的な進歩を遂げた時代です。現在では単繊維の応力-ひずみ曲線から弾性率、降伏強度/ひずみ、引張強度、破断ひずみ、タフネスを求める実験は学部生の学生実験レベルです。その一方で、万能試験機以前の装置を拝見すると、それを用いて特に弾性率を測定するのは至難の業で、昔の論文では強度・伸度の測定結果に留まることが多かった理由が容易に想像できます。周辺機器の飛躍的な進歩も相まって、力学物性に加えて熱物性、電気物性、光学物性、化学物性…精密なデータが取得できるようになりました。構造解析の手法も光学顕微鏡、電子顕微鏡に加えて走査型プローブ顕微鏡が発明され、X線解析における放射光の利用、核磁気共鳴や赤外分光におけるフーリエ変換の利用、ラマン散乱の光源へのレーザの利用などは従前データの質・量を飛躍的に上げました。むろん計算機の進歩、AI、DXが科学技術を根本から変える時代が始まっていることも特記すべきことです。そんな時代に、お忙しい皆様に余分な提案で恐縮ですが、これらのさまざまな知見を結集することで、ここらあたりでどうか、新たな繊維構造モデルの提唱をお願いできないでしょうか。そこで具象化したモデルを駆使して、是非、想像、アイデアを巡らし、議論、実験、解析を進めることで、これからの繊維学の新たな進歩と発展を図っていただくことを祈念したく存じます。
さらに近年の状況を拝見したときに、従前の課題の多くが未解決なまま取り残されていることを惜しく思っていますがいかがでしょうか。他人事ではなく、責任の一端は不肖私にもあることを痛感します。繊維のマクロな弾性率としては、その高分子の結晶弾性率に近い値が得られるようになってきました(むろん高分子種に依存しますが)。ところが、実在繊維の強度は6 GPa程度までで、まだまだ理想強度(ポリエチレンで約30 GPa)にはるかに及んでいません。大変形下ではさまざまな構造欠陥が生じ、それらが強度を支配することが想像できますが、ではどうやって欠陥を減らしましょうか。地道で困難な取り組みが必要なテーマで、現在のトレンドからすると研究費がすぐには得られそうもないと躊躇されるかもしれません。ところが、もしも理想強度が達成されたら、比強度・比弾性率などと言わなくても、実強度・実弾性率で金属を凌駕する繊維の完成です。さらに各種高性能、高機能を併せ持つのですから材料革命が必ず起こります。年寄りの無い物ねだりの繰り言ばかりで恐れ入りますが、是非、知恵と勇気を結集して、繊維学の故きを温めて、新しきを知っていただければ望外の喜びです。皆々様の益々のご活躍をお祈り申し上げています。
西野 孝(神戸大学 教授)
*繊維学会誌2024年11月号、時評より
- Home
- SFST's Voice
- 繊維学の故きを温めて新しきを知る